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青葉城(宮城県仙台市)

  • 2008/06/15(日) 20:52:26

2008年6月5日(木)、ようやく青葉城を訪れた。天気はあいにくの曇りだったが、予報では雨だったので降らないだけラッキーだと思っておこう。

青葉城を訪れたのは小学生時代以来の30年ぶり?の2回目。小学生の時は満足したが、やはり今は見る目が厳しくなってくる。多少不満を持ってしまった。現存建造物がないし復元建造物もすくないのは知っていたので、その点は不満はない。不満はないのだが、あまりにも残っていないのだ。二ノ丸は東北大学キャンパスになってるし、三の丸は仙台市立博物館になってるし、とにかく往時を偲ばせるものがあまりにも少ない。しかも、最近復元された本丸北壁石垣はともかく、古い石垣は草が伸び放題のほったらかしで、青葉城に対する”愛”を感じない。

でも資料展示館はけっこう充実していたので満足できた。専用シアターでCG映像で仙台城の全貌を再現。仙台城見聞館のビデオも良かったし、そのそばには、石垣復元時に使えなかった石垣が展示してあって、その点も好感度アップ。

なお、伊達政宗騎馬像は30年前と変わらす佇まれておられた。

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中尊寺(岩手県平泉)

  • 2008/05/17(土) 09:19:49

2008年5月1日。春の藤原祭り初日に遊びにいってきた。
ホントはお城めぐりをしたいのだが、なかなか行けないでいる。

浮見堂と五十鈴神社(宮城県気仙沼市)

  • 2008/05/04(日) 10:36:54

2008年4月25日、気仙沼の浮見堂を訪れた。

じつは先日デジカメを購入。さっそくお城を撮影してみたいのだが、近くにお城跡などない。ならばお城の親戚とも言える神社を撮影の対象に選んだのである。そんな不謹慎な理由で訪れた私を五十鈴神社は優しく迎えてくれた(あたりまえか)。

浮見堂は子供時代から何度も遠くから見ていた。海に浮かぶお堂は子供心にもカッコよくて印象深かったのだ。だが実際に来たことはこれで2度目。意外と来てない。そもそも五十鈴神社とか浮見堂とは呼ばずに「おしんめぇさま」とか呼んでいた気がする。

ネットで検索していたら、なんとこの場所が映画「自虐の詩」のロケ地となっていた。主役級のヨシエさんが気仙沼出身という設定らしい。さっそくレンタルして確認してみると、たしかに映画の冒頭に使われていた。まさに私の撮影ポイントが使われている。全然知らなかった。ついでに「スシ王子(堂本光一主演)」のロケも気仙沼だったこともネットで知った。ネットって便利なものだ。

wikiで検索していたら「えびす」の画像に「気仙沼市、浮見堂にあるえびす像」が使用されていて驚いた。 
えびす-Wiki




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一関城(岩手県一関市)

  • 2008/04/22(火) 22:11:11

現在の一関城跡は釣山公園として整備され桜の名所として市民に親しまれている。遺構らしきものは何もないが、散歩していて楽しい。急坂を登っていくとだんだんと視界が広がり、途中庭園があったり、おさん稲荷神社があったりして、ようやく千畳敷と呼ばれる本丸跡の広場に到着する。そこまで程よく、なんだか歩いていて楽しい(急坂だけど)。

遺構は何もないと書いたが、陣屋門は毛越寺の表門として移築されて現存している。今度行ってみよう。

そもそも一関藩とは、仙台藩の支藩なので少々マイナーな藩なのだ。最初は伊達政宗の末子が初代藩主となったのだが、伊達騒動(小説『樅ノ木は残った』の舞台)によって改易。そののち田村氏が入封して復活し、幕末まで一関藩主田村氏は11代続く。自慢は千葉胤秀(和算家)の出身地。市内には全国最多の29面の算額が残っている。ちいさな藩ながら、それなりにいろいろあったようです。

一関藩 Wikipedia

算額 Wikipedia

2008年4月6日、一関巡りする。途中旧沼田家武家住宅に立寄ってから一関城跡を巡ってきた。沼田家武家住宅は一般の市街地に隠れたように存在する。標識のおかげてたどり着けた。なければ誰も気づかないと思う。




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花巻城(岩手県花巻市)

  • 2008/04/16(水) 20:22:10

花巻城はかつては鳥谷ヶ崎(とやがさき)城と呼ばれ、盛岡藩の花巻郡代の居城である。郡代の居城なのでもともと天守閣はなく、本丸に二層二階の櫓や多くの重層の城門が建っていたそうだ。

現在の花巻城は、本丸跡は鳥谷ヶ崎(とやがさき)公園として整備され、平成7年に花巻開町4百年を記念して本丸西御門が復元された。二ノ丸跡は、武徳殿(弓道場と柔・剣道場)と花巻小学校の校庭。三ノ丸跡は鳥谷崎神社と民家が密集している。実際に歩き回ったが、小学校と神社と民家が立ち並んでいた。当時の遺構は円城寺門と時鐘堂のみ。時鐘堂には行き忘れたので、いつか通りがかりに立寄り撮ってこようと思う。

詳しくはウィキで>>>

2008年4月4日(金)私は花巻城を訪れていた。平日でしかも春休みなのか誰もいない。こういう場合それらしい服装をして高級一眼レフカメラでも持っていれば、歴史マニアだと認識されるかもしれない。だが私の場合普通の服装で携帯電話で写真撮影していたので、不審者と思われたかもしれないと危惧している。

誰もいないと書いたが、同好の士らしきオジサンがいた。彼はそれらしい服装でデジカメを持ち自転車(レンタル?)で移動していた。やはりデジカメはマストアイテムだろう。

花巻城のウェッブアルバム。このブログのメイン企画である。前回の盛岡城の写真はPicasaを利用したが花巻城はフォト蔵でアップしてみた。一長一短があるので比べている。ついでにグーグルマップも追加してみた。




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盛岡城(岩手県盛岡市)

  • 2008/04/13(日) 13:32:01

盛岡城は現在は盛岡城跡公園となっている。昔は岩手公園と言ったものだが、いつの間にか名前が変わっていた。ウィキペディアで調べたら2006年に岩手公園から改名したそうだ。ちょっとゴタゴタがあったらしいが、ここではふれないでおこう。

盛岡城についての基礎データなどはウィキで・・・ 「盛岡城」


私が訪れたのは2008年3月13日。盛岡築城は1598年だそうなので、築城後410年後に私が訪れるとは築城主の南部信直も思わなかったろう。私も盛岡城を一人で訪れる日がくるとは、思ってもなかった。「戦国の城(小和田哲男著)」や「城造りのすべて」などに触発されて実際に縄張のようすや石垣が見たくなって、近場で最大級のお城である盛岡城にやってきたのである。

盛岡城といっても何もない城跡である。それのどこが面白いのか?

お城に関する知識がないと、そこはお城のないただの城跡である。ただの公園でしかない。だが知識があると、見所満載のお城となるのである。

知識がないと石垣を見てもつまらないことは言うまでもない。だが知識を仕入れて石垣を見ると、とても興味深い。たとえ建造物のない城跡でも、縄張の知識があると、城構えの意図が分かって興味深いものだ。関連書を多少読んだだけの、かなり俄仕込みの知識ではあるが、あるとないでは大違い。それに実際に見て歩いていると、だんだん知識も深まっていくのが嬉しい。べつにお城に関する深い知識など要らない気がしないでもないが、そこは深く考えないでおく(笑)

とにかく、何もないと思っていた盛岡城が楽しかった。

城の楽しみかたは人それぞれだと思うが、縄張の知識があると、登城するときは攻撃側の視点で見てしまう。つまり自分が攻撃側の足軽になったつもりで見てしまうものだ。本丸まで登った後は今度は一転して守備側の視点で見てしまう。自分が守備側の指揮者になりきった気分で見てしまうのである。たぶんお城ファンはみんなそんなもの。・・違うかのだろうか??

もうひとつのお城ファンの楽しみは、自分で撮ってきた写真を見返すことだろう。デジカメを持ってないので、ケータイカメラで撮ってきたのだが、見返してみるのもまた楽しいものである。印刷しない限りはケータイカメラでも必要十分(のハズ)。

ここからのウェッブアルバムが、このブログのメイン企画のつもりなので、ここまで読んでくれた人がいるのなら、ぜひ見て欲しい。コメント付きなので面白いと思うのだが・・・・・。

盛岡城のウェッブアルバム スライドショーで見てくだされ

↑グーグルのPicasaを利用させてもらった。

↓「フォト蔵」のほうも良さそうなので、比較のために追加してみた。

~最後に
このブログを書いている時にたまたま見ていた地元テレビのローカル番組で「いしがきミュージックフェスティバル」の告知をやっていた。これも何かの縁なので地味に宣伝しておこう。>>サイトへジャンプ

「いしがきミュージックフェスティバル」とは盛岡城跡公園で開催されるフェスである。開催日は 2008年6月21日、22日。参加アーティストは宇佐元恭一、カラーボトル、清心、藤井悟、柳田久美子、AFTER MIDNIGHT、W-DRIP、TEXAS STYLE、madcap death panda、森の人、OSALIND、彩花、及川智明、KEY STONE、洞口隆志、桝澤雄貴、四日市博隆、龍伝ほか。

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